TKU’s blog

思考は究極の娯楽。

言葉からコミュニティを作る話。

こんにちは。

高山裕輝というものです。

 

今日、

先輩にブログの記事名、アイキャッチ画像と諸々フィードバックくらいました。

今回は真面目に記事名を考えます。

 

 

最近、夏休みだからなのか

「思考で遊ぶ」という感覚を覚える瞬間が少しずつ増えてきた気がします。

哲学してる記事を読むのとか少しはまりましたね。

でも大切なのは、自分で哲学できるようになる思考力を手に入れることですね。

今日も思考を楽しもう。

 

 

前回、

コミュニティ毎に共通言語を持った方がよいという記事を書きました。

後編として書いたんですが、今回はその続編です。

 

tkublog.hatenablog.com

 

 

 

なぜ続編なのか

記事を見直していて思ったことがあった。

 

なにかものたりない。

 

 

その気持ち悪さの原因は、はっきりしている。

きちんと整理された理由はないにせよ、

組織に共通言語が必要だろうことは、感覚的にわかっていたからだ。

 

そのため、

結局のところ、毎日の意識行動に変化があまりない

 

 

もちろん、

言語とは何か、言葉とは何かを考えたりすることで、

コミュニティ毎に共通言語が必用であると確信を持てたのは大きな成果だ。

 

しかし、

「根本的に解決したいことにはなっていない」

「解結にあまり進展がみられていない」

その事実が、

この拭えない気持ち悪さを生み出しているのだ。

 

 

 

この気持ち悪さを払拭するためには、

 

どのように共通言語を作り、

どのように組織に浸透させていくのか。

 

 

この問いに向き合う必要があるのだ。

 

 

 

問いに立ち向かう前の準備

まず、この問いに立ち向かうために、この問いを理解しなければならない。

 

この問いは2つの解を求めている。

 

 ①言語の生み出し方とは何か

 

 ②言語を浸透させていく方法とは何か

 

長くなるので、今回は①の「言語の生み出し方」に絞って思考する。

 

 

言語とは思想と価値観の凝縮だ。

日本語がどのようにして生まれたのか知っている人はいるのだろうか。

 

いないよね。

 

 

少し調べてみたが、

言語の本質や誕生の理由については哲学的な議論が交わされているみたいだ。

 

思想から言語が生まれたのか、

それとも、言語があるから思想が生まれたのか、

 

それは分からない。

 

 

だが、確実に言えることが2つある。

 

1つ目。

結果として、

言語には思想や価値観が反映されているということ。

 

 1つ例を挙げる。

 

狼は英語でwolfというが、

日本語では一匹狼のように、狼は「孤高」の存在としてのイメージが浮かぶ。

一方英語では、wolfに「残酷な動物」という印象があり、童話などでは悪役として登場する。

 

つまり、同じ対象に対して名付けた言葉にイメージや思いが乗っている。

これは、意思疎通の上で非常に重要な性質だ。

 

 

 

そして2つ目。

言語なしに思考はできないということ。

 

分かりやすい実験をしよう。

ただし対象は英語が苦手な人だ。

(英語が得意な人は、苦手な / あまり知らない言語で置き換えてくれ)

 

 

想像してみて欲しい。

 

『休みの日、何をして遊ぼうか』

 

 

これについて、英語でブレストをしてみてほしい。

 

すると、

驚くほど何も浮かばない。

 

だが、母語である日本語でおこなうと、アイデアが浮かぶ。

 

 

これはつまり、

人は思考を言葉で表現しているだけではなく、

言葉で思考を行っているということなのだと、僕は感じる。

 

 

このことについては、

言語とは何か―解明の意義 - 人間存在研究所

や、

『言葉にできるは武器になる』

などを読んでもらうと分かるかもしれない。

 

 

「言葉にできる」は武器になる。

「言葉にできる」は武器になる。

 

 

 

大切なのは、

言葉にできないものは思考できない

ということだ。

 

 

言語を作ろう

大切なのでもう一度いう、

 

言葉にできないものは思考できない

 

 

 

であるならば、

今から共通言語を作るときには、

次のことを強く意識して作ればいいわけだ。

 

 

それは、

 

自分たちがこだわりたい物事や思想が関わる物事に対しては、

事細かく言葉で名前を定義する

 

ということだ。

 

 

有名な例に、雪を表現する言葉の数がある。

 

日本語では、雪の表現として様々なものがある。

{雪花、粉雪、牡丹雪、細雪、泡雪などなど}

 

一方英語では、snowで表現されることがほとんどで、

基本的には形容詞とセットで使うことでなんとか表現を仕分けている。 

 

これは、

 

日本では季節や地域によって様々な雪が降っていたために、

自然を愛する日本人にとって「どんな雪なのか」は、

会話や思考の中でこだわりたいポイントだった

 

ということだ。

 

こだわりのなかった英語圏では、形容詞を用いて、ことを済ましている。

 

 

AIESEC言語を考える

AIESECにおいて、

こだわりたい物事や思想・価値観が反映しやすい物事は何だろうか。

 

議論や事業計画を立てることに関するもの、

社会問題など問題解決に関するもの、

そして、

志などキャリアやリーダーシップに関することであろう。

 

そういった物事に対して、

もっと細かくAIESECは言語を定義しなければならない。

 

たとえば、

前からがっつり皆を率いていくタイプのリーダーのことを『勇者』と呼び、

後ろからサーバント的にリードするリーダーのことを『監督』と呼ぶなどだ。

 

LeadershipYouthGlobalがキーワードであるが、

AIESEC、少なくともOSにはこだわりたい部分への言葉数が少なすぎる。

だから齟齬が生まれやすく、共通認識が取りにくいんだ。

 

そんなことに気づいた。