TKU’s blog

思考は究極の娯楽。

ダイエットの秘訣とメンバーを育てる秘訣は同じだったっていう話。

こんにちは。

久しぶりにブログを復活させます。

美容院で髪を切ってもらって気分がいいからです。

今ならダイエットも達成できそうな予感がします。

 

 

ちなみに、

前回記事は全国にラップファン a.k.a マイメン を増やすために書いた記事なので、もっと拡散されてほしい...

tkublog.hatenablog.com

 

最後にブログを投下した頃から、大きく活動が変化しました。

一番大きな変化は、3年間活動してきたAIESECの阪大支部を卒業し、本部のメンバーになったことです。今は、本部のメンバーとして各大学支部のトップをまとめる立場になりました。

立場が変わったことで、見る世界感も変わり、新たな気づきがありました。

 

 

今日書きたいテーマは、

そんな中で感じた「リーダーとフォロワーの間の時間感覚の違い」です。

どうぞ。

 

 

リーダーという役割が意味するもの

 

ダイエットする。

そう考えると、ゾッとする。

ハードなランニングや食料制限など過酷な生活が思い浮かぶからだ。

 

 

 

チームメンバーを強くする

そう考えることも、ゾッとするお題だ。

これまで取り組んでは失敗した経験があるからだ。

 

 

僕はAIESEC阪大支部の執行メンバーになって、「仲間を強くする」という課題に取り組んできた。

問題意識自体はメンバーの時から抱いていた。

思いつきで自ら講座的なものを打ってみたり、勉強会を提案してみたりした。

でもうまくいかなかった。

 

 

執行メンバーになってからは、

1人ひとりのメンバーと膝を突き合わせられる機会を設置してみた。

メンバーの持っている本をスプレッドシートにまとめて貸し借りができる場を作ってみた。

任期終わりかけのころに、学び合うことにインセンティブがでるような循環的な仕組みを構想してみたりした。(思いついたのが引退間際で、結局試験導入の途中でタイムアップとなってしまったけど)

 

 

振り返ってみると、

リーダーになって一番変化したのは「自分が動かないと状況が変わらない環境になった」ことだった。だから、1つの問題意識に何度も取り組むきっかけを得られた。

僕はそのことに感謝している。

 

それが自分の視座を変えてくれたから。

 

リーダーとフォロワーの視界にある2つの違い

 

リーダーとフォロワーの違いはたくさんある。

その中でも、「視座の違い」というのをよく聞く。

リーダーの座る高い椅子から見た視界をイメージしてのことだろう。

その様子を想像すると、視座というのは2つの側面に分けられそうだと感じられる。

 

 

1つは、見えている視界の広さ。

メンバーの時の自分は同じチームメンバーのことしか見えていなかった。執行部になってからは組織全体のメンバーのことを捉えるようになった。これはリーダーという役職がそうさせる部分が大きい。ある程度行動に自由度が増したり、責任感が増したり、情報が集積したりするから自然と視野が広がる。

 

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空間的な広がりを感じさせる写真だ…

 

もう1つは、見据えている時間軸の長さだ。

立場的にいろんな施策を見たり実行したりする中で、単発の施策の刹那さを実感した。

一時的にはよくなるだけで、状況が変わったとは感じられなかった。

 

そうしていくと次第に、より仕組みや制度・構造といったものに目が向くようになった。

でもそれは、期待する効果が実るまでより時間のかかる施策を意味していた。

僕はこれを「待てる期間」の長さが変化したと解釈している。

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同じ山頂の眺めの画像でも、こちらは時間的な広がりを感じさせる。

 

待てる期間とは、「実りが出るまで仕込み続けられる期間」という意味だ。

 

①その場でインプット講座を開くこと

 ↓

②勉強会を開くこと

 ↓

③本の貸し借りシステムを作ること

 ↓

④インプットとアウトプットを促進する仕組みを作ること

 

試していった施策は、次第に仕込みが長くなるものへと変化していった。

 

 

必ずしもメンバーとリーダーで違いが出るというわけではないが、「待てる期間」はリーダーの方が長くなりやすい。

何度もトライ&エラーする環境に立たされるからだ。

そうして、リーダーとフォロワーの間に大きな時間軸の差が生まれてくる。

 

問題はそこから生まれてくる。

 

待てる時間の差がもたらす問題とは。

 

端的に言うと、リーダーの言っていることが理解できなくなる。

 

フォロワーからすれば、リーダーが打ち出す(長期的な時間軸の)施策というのは理解するのが難しい。

そして何より、待てない(モチベーションが続かない)。

だから停滞する。

 

 

追い打ちをかけるように、

自分がいるAIESECという組織は、代謝(メンバーの入れ替わり)がすこぶる早い。

そうなれば、必然的に任期である1年という幅が「待てる時間」に限界を与えてくる。

待ちきれなくなってしまうのだ。

 

学生代表の「待てる時間」、

本部にいるメンバーの「待てる時間」

支部にいる代表たちの「待てる時間」

支部にいるメンバーたちの「待てる時間」

すべてに差が生じてくる。それが自然な流れだから。

だから、停滞する。

 

 

だからこそ、

組織には

 

「リーダーの世界観を伝え、時間軸を揃える翻訳者」

    

「その時間軸に沿うよう長期間コミットできる人財」 

 

という2人の立役者が必要になってくる。

 

 

 

何とか、組織として「待てる時間」の平均を延ばせるようにしたい。

なぜなら、

時間の力を使えば、取り組み自体は意外と簡単なことが多いからだ。

 

 

 

 

 

少し前に衝撃を受けた。

 

どうやら夜の炭水化物を今より控え、1日10分の有酸素運動を朝に継続するだけで、体重は減っていくらしい。

目から鱗だった。

そんな簡単なことで痩せれるなんて…

 

 

継続して待てるか。

成功の秘訣は意外とシンプルなのかもしれない。

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僕の大好きなものの話。

こんにちは。

高山裕輝というものです。

 

前回のブログ記事、ある特定の人たちには刺さっていてよかったです(笑)

 

tkublog.hatenablog.com

 

1週間ほど、連日記事を投下してきましたが、

ここで一旦筆をおこうかなと思っています。(明日から旅行が始まるので…

ですが、

今回の記事は、連続投稿の最期を取るに相応しいものだと言えるでしょう!!

お楽しみください。

 

 

 

僕の悩み

僕には最近悩みがある。

それは、仲間がいないという悩みだ。

 

仲間と言うのは、楽しさを増幅させ、悲しみを半減させる。

今の僕には仲間がいない。

 

 

 

そう、

 

ラップ好きの仲間が!!!

 

 

 

実は、

AIESECにはヒップホップ部なるものがある。

 

素晴らしいコミュニティだ。

AIESEC内部活動の中で最も活動的な部活動の1つである。

 

ちなみに、もう1つのアクティブな部はパン部だ。

今日食べたパンを紹介し合う部活動らしい.... 

 

 

パン部に負けるわけにはいかない。

みんなもヒップホップ部に入ってくれ。

 

 

ラップの楽しみ方

しかし、僕は知っている。

ラップには聞かず嫌いな民が多い。

仕方がない。ラップの意外な価値をお教えしよう。

 

 

ラップにはバイブスが上がる軸が大きく3つある。

①ライム(韻)

 例:嫌いな民、仕方がない、意外な価値

 

②フロー(音の乗り方)

 これは普通の歌も取り入れている。

 メロディーに乗せてフレーズを歌うことをいう。

 

パンチライン

 ラップ独特の表現だ。

 ラインというのは歌詞(セリフ)のこと。

 心をグーパンチで殴られるような痺れるセリフ(核心をついた一言)ということだ。

 

 

ライムとフローはラップを音楽として楽しむための要素となっている。

そして同時に、ラップの趣向を高めている。

 

つまりは不自由なのだ。

だからこそ、そんな縛りの中で繰り出されるパンチラインが一層痺れる

 

 

とまあ楽しめる要素は盛沢山なので、

ここまで読んだ人は大人しくラップを聴きなさい。

Creepy nutsとかケツメイシとか聴きなさい。

そして、感想を教えなさい。

 

 

折角なので、オススメの曲をおいておこう。

 

■■韻を楽しみたいクレバーなあなたへ■■

  ...ケツメイシ『ア・セッションプリーズ』『夏の思い出』がいんじゃないかね。

 


ア・セッションプリーズ

 

 

■■フローを楽しみたいアーティスティックなあなたへ■■

  ...AKLORGTO』、ZORN『Walk This Way』とかいっとけ。


【Official Music Video】ZORN/Walk This Way feat.AKLO [Pro.dubby bunny/Dir.Takuto Shimpo] (C)2018昭和レコード

 

 

■■パンチライン(内容)を楽しみたい熱いあなたへ■■

  ...Creepy nuts『刹那』『教祖誕生』、ZORNMy Life

 


【歌詞つき】ZORN / My life (Prod. by DJ OKAWARI)

 

お前ら(子ども)のためとは思わねえ。

そうじゃなくて、お前らのおかげ。

こんなん、痺れますやん。

 

ラップのたまらなく好きなとこ

ところで去年、

僕はAIESECの活動で海外インターンシップを一から作る活動をしていた。

 

そして、そのインターンの説明会を宣伝するビラのコピーライティングをした。

その時のビラがコレだ。(表面だけだけど

 ↓

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高山がコピーライティングしたビラ



 

我ながら良いこと書いたなあ。

 

ここに書けた思いは『志をどうやったら見つけられるのか』という問いへの答えだ。

 

僕は思う、

志っていうのは明確な未来への理想像であり、それを描けている自分への使命だと。

 

明確な未来への希望があるからこそ、対照的に今の現実に対して絶望を抱く。

皆、志(希望)を持てているAfterの姿ばかり夢見ているが、

その前のBeforeには、絶望を知る / 感じるステップがあるんじゃないか、

 

そんなことが言いたかった。

 

 

 

わかります。

皆が思っていること。

 

ラップとどない関係があんねん!

 

 

いや、あるんやて。

そこがミソ。

 

 

イメージしてみて欲しい。

ラップを唄っている人の容姿を、人柄を、思想を。

何か怖そうな人を思い浮かべなかったか。

 

それは、ある意味あっている。

もともとラップの生まれは、貧しい黒人たちの言葉遊びが起源だ。

彼らは娯楽としてラップを始めた。

 

 

しかし、その娯楽の中には悲痛な絶望の叫びが織り込まれている。

 

もちろん、テンション上げるための歌も多いが、

よーく聞き分けてみると、今への不満や怒りが表現されている。

 

僕はこの、

絶望への怒りのエネルギーがたまらなく好きだ。

 

 

特に最近痺れた一曲がある

特にこの、

Creepy nutsというアーティストの『刹那』という曲はスゴイ。

ここに表現されている、ラッパーR指定の叫びは、えも言われぬ迫力がある。

イヤホンで聞くことを強くお勧めする。

 

 #イヤホンつけろ

 

曲を流す前に、簡単に紹介をしておこう。

 

現代では、

ラップを駆使してお互いに罵り合う、ラップバトルというものがある。

 

その全国チャンピョンを決めるUMBという大会を、

ラッパーR指定は大阪代表で3連覇したのだ。

 

しかし、

 

勝てば勝つほど、周囲の観客は彼が王座から都落ちする様を期待しはじめた。

 

応援が嫌味に聞こえ、歓声が自分の敗北を求めるているかのように聞こえる。

 

その心情は計り知れない。

 

 

当時3連覇した時のWinning Rap(優勝を喜ぶフリースタイルラップ)がこちらだ。

 


蜂と蝶 【R指定のカッコいい即興】

 

 

そうこうして人気が高まり、R指定は松永というDJと共にメジャーデビューを果たした。

 

しかし、そこで次に待ち構えていたのは、

自分たちを商材として見る大人たちであった。

 

そんな中でも必死に自分たちの夢を追いかけようと彼らはもがいている。

 

大きなチャレンジに伴う暴風ともいえる逆風。

その逆風に対して『負けてたまるか』と自らを奮い立たせるのがこの曲のテーマなんだと思う。

 

じっくりと聞いてみて欲しいな。

youtu.be

 

 

 

ちなみに僕はこれをテスト当日の電車で初めて聞き、

テストへと向かうモチベーションが下克上的な感情に変わってしまった。

 (単位はまだない。)

 

 

他にも、DRUGの歌やかなり哲学的な歌まで多種多様だ。

最後まで読んだあなたは、今日からマイメンだYO

 

ヒップホップ部へようこそ!! 

 

 

※ちなみに、髭を生やしてるんだが、それとラップとはあまり関係ない。

 これは純粋に、オダギリジョーを閲覧しすぎたためである。

言葉からコミュニティを作る話。

こんにちは。

高山裕輝というものです。

 

今日、

先輩にブログの記事名、アイキャッチ画像と諸々フィードバックくらいました。

今回は真面目に記事名を考えます。

 

 

最近、夏休みだからなのか

「思考で遊ぶ」という感覚を覚える瞬間が少しずつ増えてきた気がします。

哲学してる記事を読むのとか少しはまりましたね。

でも大切なのは、自分で哲学できるようになる思考力を手に入れることですね。

今日も思考を楽しもう。

 

 

前回、

コミュニティ毎に共通言語を持った方がよいという記事を書きました。

後編として書いたんですが、今回はその続編です。

 

tkublog.hatenablog.com

 

 

 

なぜ続編なのか

記事を見直していて思ったことがあった。

 

なにかものたりない。

 

 

その気持ち悪さの原因は、はっきりしている。

きちんと整理された理由はないにせよ、

組織に共通言語が必要だろうことは、感覚的にわかっていたからだ。

 

そのため、

結局のところ、毎日の意識行動に変化があまりない

 

 

もちろん、

言語とは何か、言葉とは何かを考えたりすることで、

コミュニティ毎に共通言語が必用であると確信を持てたのは大きな成果だ。

 

しかし、

「根本的に解決したいことにはなっていない」

「解結にあまり進展がみられていない」

その事実が、

この拭えない気持ち悪さを生み出しているのだ。

 

 

 

この気持ち悪さを払拭するためには、

 

どのように共通言語を作り、

どのように組織に浸透させていくのか。

 

 

この問いに向き合う必要があるのだ。

 

 

 

問いに立ち向かう前の準備

まず、この問いに立ち向かうために、この問いを理解しなければならない。

 

この問いは2つの解を求めている。

 

 ①言語の生み出し方とは何か

 

 ②言語を浸透させていく方法とは何か

 

長くなるので、今回は①の「言語の生み出し方」に絞って思考する。

 

 

言語とは思想と価値観の凝縮だ。

日本語がどのようにして生まれたのか知っている人はいるのだろうか。

 

いないよね。

 

 

少し調べてみたが、

言語の本質や誕生の理由については哲学的な議論が交わされているみたいだ。

 

思想から言語が生まれたのか、

それとも、言語があるから思想が生まれたのか、

 

それは分からない。

 

 

だが、確実に言えることが2つある。

 

1つ目。

結果として、

言語には思想や価値観が反映されているということ。

 

 1つ例を挙げる。

 

狼は英語でwolfというが、

日本語では一匹狼のように、狼は「孤高」の存在としてのイメージが浮かぶ。

一方英語では、wolfに「残酷な動物」という印象があり、童話などでは悪役として登場する。

 

つまり、同じ対象に対して名付けた言葉にイメージや思いが乗っている。

これは、意思疎通の上で非常に重要な性質だ。

 

 

 

そして2つ目。

言語なしに思考はできないということ。

 

分かりやすい実験をしよう。

ただし対象は英語が苦手な人だ。

(英語が得意な人は、苦手な / あまり知らない言語で置き換えてくれ)

 

 

想像してみて欲しい。

 

『休みの日、何をして遊ぼうか』

 

 

これについて、英語でブレストをしてみてほしい。

 

すると、

驚くほど何も浮かばない。

 

だが、母語である日本語でおこなうと、アイデアが浮かぶ。

 

 

これはつまり、

人は思考を言葉で表現しているだけではなく、

言葉で思考を行っているということなのだと、僕は感じる。

 

 

このことについては、

言語とは何か―解明の意義 - 人間存在研究所

や、

『言葉にできるは武器になる』

などを読んでもらうと分かるかもしれない。

 

 

「言葉にできる」は武器になる。

「言葉にできる」は武器になる。

 

 

 

大切なのは、

言葉にできないものは思考できない

ということだ。

 

 

言語を作ろう

大切なのでもう一度いう、

 

言葉にできないものは思考できない

 

 

 

であるならば、

今から共通言語を作るときには、

次のことを強く意識して作ればいいわけだ。

 

 

それは、

 

自分たちがこだわりたい物事や思想が関わる物事に対しては、

事細かく言葉で名前を定義する

 

ということだ。

 

 

有名な例に、雪を表現する言葉の数がある。

 

日本語では、雪の表現として様々なものがある。

{雪花、粉雪、牡丹雪、細雪、泡雪などなど}

 

一方英語では、snowで表現されることがほとんどで、

基本的には形容詞とセットで使うことでなんとか表現を仕分けている。 

 

これは、

 

日本では季節や地域によって様々な雪が降っていたために、

自然を愛する日本人にとって「どんな雪なのか」は、

会話や思考の中でこだわりたいポイントだった

 

ということだ。

 

こだわりのなかった英語圏では、形容詞を用いて、ことを済ましている。

 

 

AIESEC言語を考える

AIESECにおいて、

こだわりたい物事や思想・価値観が反映しやすい物事は何だろうか。

 

議論や事業計画を立てることに関するもの、

社会問題など問題解決に関するもの、

そして、

志などキャリアやリーダーシップに関することであろう。

 

そういった物事に対して、

もっと細かくAIESECは言語を定義しなければならない。

 

たとえば、

前からがっつり皆を率いていくタイプのリーダーのことを『勇者』と呼び、

後ろからサーバント的にリードするリーダーのことを『監督』と呼ぶなどだ。

 

LeadershipYouthGlobalがキーワードであるが、

AIESEC、少なくともOSにはこだわりたい部分への言葉数が少なすぎる。

だから齟齬が生まれやすく、共通認識が取りにくいんだ。

 

そんなことに気づいた。

言語を作った人の気持ちがわかる話。

こんにちは。

高山裕輝というものです。

 

ちょっとブログのデザインをいじってみました。

一通り調べて試してみたら、カオスになったので、テンプレから選んできました。

恐らく近日中にまたデザインが変わるでしょう。

 

 

前回、言葉と言語について、焼肉を手掛かりに哲学してみました。

(まだ見てない人は是非立ち寄ってみてください) 

 

tkublog.hatenablog.com

 

 

今日はその続きです。

どうぞ!

 

 

 

 

あの後思ったこと。

昨日のブログを投稿した後に思ったことがある。

言語って名づけのルールだけなんかな

、と。

 

「何かを口に運んで、もぐもぐして飲み込む」という動作を『食べる』と名付けたり、

「いわゆるお肉」のことを『お肉』と名付けたり、

その名づけかたを統一したものが言語であることは間違いないと思う。

 

ただ、それだけなんだろうか。

 

そうしたら、文章というものはいらないはずだ。

 

例えば、「お肉を食べる」という行為を考えてみる。

 

「私がお肉を食べる:現在系」という意味を『あ』と名付ける。

「私がお肉を食べた:過去形」という意味を『い』と名付ける。

「私がお肉を(これから)食べる:未来系」を『う』と名付ける。

 

 

もっと言うなら、

 

「私が牛肉を食べる」とき、それを『か』と名付け、

「私が豚肉を食べる」とき、それを『き』と名付ける。

 

 

もしそうした、どうなるだろう。

 

 

これを繰り返して、神羅万象、ありとあらゆるものに名をつけてしまえば、どうなるだろう。

 

 

名詞だけで意思疎通は可能だ。

 

 

だが、もう明らかなように。こんなことは不可能だ。

そもそも覚えきれないし、組み合わせは実質無限大にある。

 

 

 

だから、文法なるものが生まれたのだ。

一定の決まりに則って言葉を配置することで、とある意味が表現される、

それが文法だ。

 

 

言語は名付け方のルールと文法のルールを統一したもの

だったのだ。

 

いやはや、人間は非常に素晴らしいツールを開発したものだ。

だが、どちらにせよ、お互いに意思疎通するために言語が生まれたという本質は同じようだ。

(ココ重要。)

 

 

 

本題:共通言語は必要なのか。

はい。

こうして、僕の頭がアップデートされたところで、本題に入る。

 

これまでの哲学には全て意味があった。

この哲学的問い、そして前回のブログそれらの布石が今繋がるのだ…!!!

 

 

それらは全て、

 

コミュニティ毎に

共通の言語を作り出す必要があるのかどうか

 

という僕の疑問から生まれたものだったのだ。

 

 

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アイセック


先日、僕の所属するAIESEC阪大(通称:OS)で、

後期の活動計画を皆で承認する、

『総会』と呼ばれる会があった。

 

後期の活動計画の事を、アイセックでは『プラン』と呼んでいる。

 

だがこのプラン、

僕はもともとメンバーだったのでわかる。

 

 

 

見る側にとって、プランは本当に見づらくて仕方がない。

 

 

KGIだとかKSFだとかKPIだとか結果KPIだとかStrategyだとか、

何となくしか分からない言葉がよく出てくる上に、

どのようにそれらが導出されたのかなど、色々と見えづらい。

 

 

もっと事態は最悪だ。

各人にとって、一つひとつの言葉が何を意味するのかが微妙にちがっている…

 

 

だが、

執筆者からしても、プランの原型の作成者以外の人は、

1つ1つの言葉が何を意味しているのか実はあんまり理解していない人は多い。

 

 

ある意味これは、フレームワークに使われている、といえる。

プランの原型を作りだした人の思考のフレームワークに使われている。

 

 

 

この問題の根本原因を僕は、こう思った。

 

これは組織で共通言語がないからなんだろうなあ

と。

 

 

そうして、言語というものを見直すきっかけが生まれたのであった。

 

 

 

今、この本題に終止符を打つ!

一通り整理できた今ならわかる。

 

共通言語は必要だ。

それもコミュニティ毎に必用になってくる。

 

だって、言語というのはお互いに意思疎通するためにあるのだから。

 

日本人というコミュニティには日本語という言語があるが、

それとは別で、OSにはOS語のような言語を生み出さなければならない。

 

 

そのOS語は日本語をベースとして作られるのかもしれないが、

日本語とは異なる言語である。

 

 

例えば日本語でいう「問題」 と OS語でいう「問題」は意味するものが違うし、

例えば日本語でいう「課題」 と OS語でいう「課題」も意味していることは違うんだ。

 

 

 

更に言うと、文法も違う。

 

日本語という言語では、主語や目的語の省略があるかもしれないが、

例えばOS語では、それが許されない。

 

主語や目的語が抜けていると、何を意味しているのかが意思疎通しない。

 

 

 

…そんなようなOS言語を作りださなければならないんだ。

だって、そうしないと意思が疎通しないから。

 

思ったよりもずっと、共通言語を作り出すことは大切だった。

焼肉チェーン店で哲学の扉を叩いた話。

こんにちは。

高山裕輝というものです。

今回はシリーズものです。

今日は前編編。哲学の時間だ!!

それでは、どうぞー!

 

 

闇市に行ったんよ。

今日、僕は家族と焼肉を食べに行った。

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焼肉店 闇市

 

実をいうと、僕はあまり焼肉の教養が高くない。

原因は明確だ。

末っ子である僕は、幼いころから皿の上にただ載せられていくお肉を無思考に口に運ぶことが焼肉店での役割だった。

 

ある程度大人に成長してきて、意識してお肉を食べようと思った。

だが、焼肉店で色んな焼肉を注文した際、お店は一皿に2,3種類のお肉を載せて運んでくる。

もちろん初めにどれがどの肉なのかは説明聞くんだけど、

結局後半は何の肉か理解せぬまま食べてしまっている。

 

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こんなやつだ。

わかるだろう。

これが僕の「焼肉アーツ」の育みを阻害してきたのだ。

 

 

僕は未だに、

頭悪そうに『お肉おいしぃ~』としか喜びの声を上げられない。

 

 

 

焼肉から哲学の扉を開ける

 

ここから思ったことがある。

人は言葉を知らないとバカになる。

 

逆か。

人は言葉を知っているから”こそ”、ここまで賢くいられるのだ、と

そう思った。

 

 

 

もし僕が6歳児で「お肉」という言葉を知らず、

目の前のモノは「食べ物」だとしか認識していなかったら、

僕はお肉と果物のおいしさを分かっていないと思う。

 

 

 

もし僕が0歳児で「食べ物」という言葉をしらず、

目の前のモノは「モノ」としか認識していなかったら、

僕はお肉を、口に入れるものなのか誰かに投げつけるものなのか分かっていないと思う。

 

 

 

 

何となく、感覚的にわかってきた。

言葉は周囲の物事に名を与えている。

 

 

 

そして名を与えることで、

僕たちはその1つ1つのモノを区別することができるようになる。

 

 

そして、区別できるということは分けるということであり、

分けることで2つのモノABを比べることができる

 

これが、いわゆる ”分かる” というヤツなんだろう。

全てのモノ同士の共通点や関係性がはっきりし、頭の中で現実を整理できるようになる。

 

 

よく芸術的というか、カオスな絵画を見た時、何とも言えない気分になる。

これは、その絵画で表されているモノが自分の頭の中で当てはまる言葉がなく

、分からない(分けられない)ということなんだろう。

 

 

 

 

名を与えることのメリットはもう1つある。

それは記憶という能力があることで、

脳内で別々のモノをAとBとして登場させ両者を比較できるようになる、ということだ。

これが、いわゆる ”思考する" というヤツだ。

 

 

人間がどうして知的な生物になれたのか、わかったような気がした。

ずばりその理由は、人間は言葉を持つからだ。

 

 

 

言葉を持つことで、人間はただその場に佇んでいるだけで、

どんどん世の中のことを理解し、仕分けていくことができるようになった。

これが知性の源となったのだろう。

 

 

 

 

 

 焼肉店を飛び出して、哲学の階段を上がる

もう一歩進んでみよう。

 

言葉と似たようなモノに言語というものがある。

僕の感覚では、言語の方が何か上位概念にいそう。

ていうか、いる。

 

 

 

具体的な言語と言えば、日本語・英語・韓国語…と浮かんでくる。

この例えからも言語言葉の関係は、言語の中に言葉が包含されていると見て良いだろう。

 

 

では言語は、言葉の持つ「名を与える」能力に加えて、どんな特徴があるのだろうか。

 

 

 

それは1つのルールで名を与える方法を統一するということではないか。

 

 

 

例えば、

高山国では高山語というものを使っており、”いわゆるお肉”のことを「YASAI」と名付けているとしよう。

 

高山国の人と日本国の人がいわゆるお肉を目にする。

2人はこれを指さして、

日本国人:『ONIKU!!』

高山国人:『YASAI!!

と叫ぶ。

 

『は? 野菜? これはお肉だろうが!!』と日本国の人はきっと思うに違いない。

これじゃあ2人の意志が疎通するのはほぼ不可能だろう。

できたとしても、かなりの年月がかかると思う。

『なるほど、こっちでいう「ONIKU」がそっちでいう「YASAI」なのね』と全て確認しないとダメだからだ。

 

 

 

だから言語は、その名前の付け方(言葉に関するルールを統一する。

日本語というルールに則ると、これは「お肉」という名を持ちますよと。

英語というルールに則ると、これは「 meat 」という名を持ちますよと。

 

 

 

 

もはや焼肉の話どこいった?

なるほどなるほど。言語も理解できた。

 

じゃあそもそも言語の目的は?

どうしてルールを定める必要があるの?

 

 

それは、人間が1人で生きていく生き物ではないからだろう。

誰かと支え合って生きる必要がある。

 

 

 

そのためにはお互いのことを理解し、意思疎通できるようになる必要があったのだ。

言語を持つことで、私とあなたの間で意思疎通ができるようになったということだ。

 

 

 

1人だけだったら言葉だけでもよかったのかもしれない。

でも僕らは2人以上であるからこそ言語というものを持ったんだろう。

 

何かエモい。

たまに苦しむあの問の話。

こんにちは。

高山裕輝というものです。

 

もう感づかれているかもしれないですが、

今、連続記事投稿のチャレンジをしています。

 

とりあえず、1週間は少なくとも毎日投稿しきる。

それが短期目標です。

 

 

さて、前回までは思想に関するお話でしたが、

今日は僕が春~夏の時期に学んだ気づきをシェアしたいなと思っています。

どうぞー!

 

 

 

とある問いがありましたとさ。

 

最近あなたは、何を学んだか。

 

唐突にこんなことを尋ねられたら、僕は一瞬ドキっとする。

ひとまず時間稼ぎに『ほぉ…、学んだことねぇ…』と、まるで余裕だと言わんばかりの雰囲気を醸し出し、焦りを取り繕う。

 

 

だが一方で、

頭の中ではもう1人の自分が、あちらこちらと記憶のタンスをあわただしく引っ張り回している。

その様子は、「締め切り間近の漫画家とアシスタント」のようだ。

 

 

あなたなら何と答えるか。

 

 

『最近、○○という本を読んだんだけども、そこには△△とあってね、確かになと思ったんだ。』

 

『この前、□□先輩と飲みに行ったんだけど、その時、~~な話を聞いたんが面白かった。』

 

 

 

この問いを理解してみる

最近あなたは、何を学んだか。

 

この問いはシンプルだが、非常に核心を突いた問いかけだと思う。

ここには2つの問いかけがある。

 

 

 1つ目。

最近『学ぶ』という行為をできているか?

これは、純粋に学ぶということにどれだけ時間と意識を向けられたか、という面で自分を顧みることができる。

 

 

 

 そして2つ目。

『学ぶ』とは何か。

   これが抜けている人がいるかもしれない。

   僕も、なんだか盲目的に1つ目の問いかけばかり気にしていて、

   『学ぶ』ということが何なのか考えられていなかった。

 

 

学ぶとは、学びとは

ということで、考えてみよう。

「学ぶ」の前に、「学ぶ」ことで得られる「学び」ってどんなものなのか考えてみる。

 

僕が一番「これは学びを使えているなぁ」と思う瞬間は、

議論や意見交換をしている時に、無意識に自分の考えが浮かんでくる、あのときだ。

あのとき僕は、自分の持ちうる学びを総動員して持論を主張してるっぽい。

 

 

逆に、そういった感覚が無い時は、つまるところ「学び」がないから、

一生懸命に知っている情報を基に、思考に集中していると思う。

 

 

「学び」は自由自在に応用できる知恵のことだ。知識とは違う。

つまり、経験の伴なった知こそ「学び」だと思う。

 

 

知識や知恵については、もっとニュアンスや状態に分けて、

色んな呼び方があるかもしれないが、そんなことは今はどうでもいい。

 

ここでは「あらゆることに応用ができる」ものを知恵とし、

「同じことにしか当てはめられない」ものを知識とする。

 

スループットから学びは生まれ、アウトプットで磨かれる

知識を知恵に変える為に必要なのは、経験や実践の試行だ。

これがいわゆる”スループット”と呼ばれるものだ。

そして知識を仕度することは”インプット”と呼ぶ。

 

この経験・実践の試行というのは、

過去の経験値を持ち出して、色んな状況に当てはめることをいう。

日本語としては、よく”咀嚼する”といわれる工程だ。

 

 

スループットができるとアウトプット(実際の応用)の質が上がる。

質の良いアウトプットができると、それがまた経験値となり、他のインプットや学びたちを巻き込んで、さらにスループット(咀嚼)することができるようになる。

 

これが学びの好循環というやつだ。

 

 

学びのハッピーセット

 

最近あなたは、何を学んだか。

 

 

ここで再び冒頭の問いに戻ると、この問いの本質の重みがより感じられる。

それに対して、冒頭の回答をもう一度、見てみる。

 

 

『最近、○○という本を読んだんだけども、そこには△△とあってね、たしかになと思ったんだ。』

『この前、□□先輩と飲みに行ったんだけど、その時、~~な話を聞いたんが、面白かった。』

 

 

そう、

これらは全てインプットした話でしかない。

 

学びは『インプットとスループットとアウトプットの繰り返しから生まれる知恵』だとは皆知っているのに、

学ぶという行為には、インプットの要素しか入っていないことが結構ある

僕はそうだった。

 

 

そんな過去の僕に、またアドバイスを送ろう。

 

それは、

インプットのルーティーンの中に、

スループットとアウトプットを入れてしまえ。

というものだ。

 

つまり、

アウトプットするまでの行為を1インプットとしてカウントする。

(もはやインプットという呼び方自体がおかしい笑)

(正しくは1インプットという行為を1学びという行為まで変えよう、ということ。)

 

 

例えば、「本を読む」というのは、学ぶという行為だと誤解しがちだ。

しかし、いわゆる「本を読む」という行為だけなら、それは1インプットでしかない。

 

そこで、

本を読むという行為が指す行動は、

 

「本の内容を自分の言葉で表現して(スループット)、

 応用できそうな場面と応用の仕方を発信すること」

 

だと思い込む。

とにかく思い込む。

 

 

そうすることで、

『学ぼう』という思いで本を手に取った時に、

行動がインプットでとどまることなく、そのままスループットとアウトプットまで行うことが自分の中で当たり前化してくる。

 

自分が得られる学びの量は各段に増やすための、小さな工夫。

 

これを、学習パッケージの拡大と名付けることにしました。

 

使い方としては、

 

『君の学習パッケージを教えて?』

『インプットまでで学習パッケージ終わってない?』

 

といった感じです。

ポケモンから学んだ話。

こんばんは。

高山裕輝というものです。

 

ところで皆さん、ポケモンは好きですか。

電車でポケモンGOをしているおじさんを見て、ふとポケモンのシリーズを見てみました。

 

ポケットモンスターXY』あたりから、ネタ尽きてきたんかなぁとは危惧してましたが、

最近は『ポケモン サン・ムーン』からの『ポケモン ウルトラサン・ウルトラムーン』という、

とうとう副詞攻めの時代に突入しているようです。

 

ポケモンの世も末なのかもしれません。

 

 

みんなからのコメント、嬉しいです。

さて、前回ビジョン人間になるためにポジション思考を取り入れようというお話をしました。

今回はその続きのお話です。

 

(まだ前回の話を見ていないという人は、チェックしてみてください。)

 

tkublog.hatenablog.com

 

 

 前回のおさらい

前回を簡単に要約すると…

 

自分の知っているポジションにある役割を理解し、

そこから自分の将来像(ビジョン)を描いていくのいいんじゃないか、 というもの。

 

 

そうすると、次に浮かんでくる問いは、

 

「じゃあどういうポジションに注目すると良いのか」

ということ。

 

 

縦と横のポジションの移動

僕はポジションの移動を縦と横の2つに分けて考えている。

 

横の移動というのは、

 

たとえば、

 営業メンバーからイベント設計メンバーへ、とか

 チームAのメンバーからチームBのメンバーへ、とか

 AIESECでメンバーから別の団体でメンバーへ、とか  

 

つまり、横の移動から得られるものは、未知との出会いだと僕は思う。

 

やったことのないことや知らなかったことを体験しに行ける。

だが、本質的な仕事の負荷や難易度はあまり変わらない。

 

 

そして縦の移動というのは、

 

たとえば、

 営業メンバーから営業部隊のリーダーへ、とか

 チームAのメンバーからチームAの先輩メンバー(後輩ちゃんを持つ)へ、とか

 AIESECでメンバーからAIESECでリーダーへ、とか だ。

 

つまり、

縦の移動は視座や役割が増し、本質的な成長(リーダーとしての成長)を得ることができる

だた、関わる活動というのはあまり変わらない。

 

 

横の移動より縦の移動の方が大切とか、そういう話じゃない。

どっちも大切だ。

 

そうじゃなくて、

学生の間にどっちの移動をしておくのがよいのだろうか

ということだ。

 

 

縦の移動を学生のうちに推奨する理由

僕は縦の移動だと思っている。

 

理由は学生の方が縦の移動をしやすいからだ。 

 

たとえば、

 

僕のいるAIESECという組織では、年に1度組織のリーダーを決めることになる。

立候補するのは1年生でも可能だ。

 

ましてや、普段の活動においてチームリーダーになることは、 

語弊を恐れずに言うと

熱意と覚悟さえあれば誰でもなれる、と僕は思う。

 

 

一方で、社会に出るとどうなんだろう。

 

最近は、新人でも裁量権を任されるという話をよく聞くようになった。

それでも上へ上へと立場を登っていくことは、そんなに簡単なことではないんじゃないか。

 

 

つまり僕は、

熱意と覚悟があればリーダーになりやすい学生(今)のうちに、

リーダー経験を取った方がいいよ、と言いたい。

 

だから、ポジション思考も横のポジションではなく、

積極的に上のポジションを想像してみて欲しい。

 

 

リーダーが得られる役割の価値は、メンバーが思っている2倍以上はある。保証する。

だから、変なコストとか考えずに、早くリーダーを目指そう。

 

 

番外編

今日の話、何となくイメージはついただろうか。

ここで1つ僕のささやかな楽しみをシェアする。

 

僕はときたま、こういった自分の思考や方法論を別のモノに例えて考えることがある。

うまくできた時は「これは我ながら良いたとえだ。」と1人ニヤつく。

 

 

この縦と横の移動ポケモンに例えてみても、よいかもしれない。

 

横の移動はつまるところ、「どのポケモンを選ぶのか」ということであり、

 

縦の移動はつまるところ、「レベルアップさせる」ということだ。

 

 

※先に言っておくが、ここから先は高いポケモンの教養が求められる。

 

 

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ルビー / サファイア

ポケモンで言うと、僕は完全にルビー / サファイアの世代だ。

今のポケモンがどうなっているかは知らないけど、あの頃のポケモンはよかった。

 

僕はルビー派のミズゴロウ組だ。

あなたは、何派の何組ですか?(コメントで教えてくれたら嬉しい)

 

 

本題に戻る。

今、自分はレベル30のヌマクローだとしよう。

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ヌマクロー

レベル30のヌマクローが経験から身に着けられる技で、

最も破壊力があると僕が判断した技は、

『マッドショット』と呼ばれる、泥団子を投げる技だ。

 

見たらわかる雑魚いヤツやん。

 

ちなみに、そのほかに覚えられるのは、

 

{たいあたり、みずてっぽう、がまん、みやぶる、どろあそび、なきごえ}

 

などがある。

 

 

今の自分、ヌマクローに絶望したとしよう。

あなたは2つの選択肢が与えられる。

 

レベル30の別のポケモンになるか、

今のポケモンのままでレベルを上げるか。

 

改めて言うが、どっちがいいとかはない。

 

レベル100のラブカスはたぶん弱いし、

レベル30くらいの伝説ポケモンはすぐ倒せてしまって、セーブを忘れた少年少女が絶望する。

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ラブカス


 

そう考えると、

今の自分はレベルを上げてラグラージになることを目指した方がいいんじゃないか。

 

それが僕の答えだ。

 

ちなみに、

レベル31になると、『とっしん』という、急に物理的に殺しにかかる技を覚える。

 

また、

レベル36でラグラージへと進化してからは、

濁流は起こすわ地震は起こすわで、災害級のポケモンになる。

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ラグラージ


 

学生のうち(レベルの低いうち)は、

必死にレベルを上げようと縦の移動を積むことが大事だと思う。

そんなお話。

 

 

ポケモンがしたくなってきた。)